伊勢角屋麦酒(三重県)のはなし
手塩にかけたビールを捨てる、こんなにつらいことはない。
でも、おいしくなければ私たちには存在価値がありません。
伊勢角屋麦酒
三重県伊勢市
三重県南東部に位置する伊勢市は、約2,000年の歴史を有する「伊勢神宮」の鳥居前町として発達してきた三重県の代表的な観光都市です。日本全国からお伊勢参りに訪れる参拝客の疲れを癒し、名物のきなこ餅「二軒茶屋餅」をふるまう和菓子店「角屋(後の有限会社二軒茶屋餅角屋本店)」は、やがて味噌や醤油も手掛ける食品メーカーとして地元で親しまれていました。その餅屋の21代目当主、鈴木成宗さんが1997年から始めたビール事業が「伊勢角屋麦酒」です。伊勢角屋麦酒の代表で野生酵母の研究家でもある鈴木成宗さんにお話を聞きました。
1994年、地ビール解禁のニュースに 「また微生物と遊べる!」と心が浮き立った
伊勢で代々続く餅屋「角屋」のせがれとして生まれた私が、なぜ「伊勢角屋麦酒」の屋号でクラフトビール事業を立ち上げたのか。さまざまな理由がありますが、一番わかりやすいのが、きなこ餅を作り続ける毎日に「飽きた」から(笑)。当時はまだ父が営む個人商店で、のんびりとした時間が流れる日々。老舗として伝統を守ることも大事ですが、一方で自由な発想が活かせる新しいことにチャレンジしてみたかった。
背中を押したのは1994年の酒税法改正です。
ビールの年間製造量が大幅に引き下げられたことによって、大手メーカー以外の事業者でも参入しやすくなったことを受けて、これだ!と思ったんです。「また微生物の世界に戻れる」と(笑)。大学では「シガテラ」という食中毒を引き起こす海洋性微生物の研究に打ち込んでいたので、酵母という微生物の代謝によって生まれるビールの世界は、まさに私の好きなことの延長だったんです。
私にとって生き物と接するのは昔から慣れ親しんでいたこと。
幼い頃は親に買ってもらった顕微鏡で、近くの池でとったミドリムシやミジンコを飽きずによく眺めていたものです。昆虫や動物も好きでしたが、中でも目に見えない小さな世界の営み、微生物に対する興味が尽きなかった。興味を持つと集中して取り組む反面、大人からは落ち着きがないと言われていた私は、伊勢市の中高一貫校に通っていたにもかかわらず環境に飽きてしまい、愛知県の高校に進学しました。ところが親元を離れたこともあってすっかり遊びほうけてしまい、下宿先は雀荘と化していました(笑)。やがて家業を継ぐのに勉強を続ける意味を見失っていたんでしょうね。なんとか浪人して東北大学の農学部に進学したものの、このままではまずいという危機感から学内で最も厳しいといわれる空手部に入って自分を徹底的に鍛え直しました。厳しい稽古に耐え、切磋琢磨できる友人に恵まれたおかげで、主将に指名される頃には胆力を備え、入学当初とはまるで別人のように自信を取り戻しましたよ。今思えば、空手部で過ごした日々と微生物研究に取り組んでいた時代の集中力が、ビール事業を続ける原動力になっていたんだと思います。
「伊勢」の看板を背負うなら世界一を目指す! とことんやらないと気が済まないんです(笑)
思いついたら即実行、やらないと気が済まなかった私は、父とつながりのあった「小西酒造」さんに醸造技術をならい、29歳の1997年にビール事業「伊勢角屋麦酒」と飲食業を立ち上げました。2年前に法人化したばかりの小さな商店が、醸造所の横にレストランも設けるという大きな勝負に出たのです。メディアでも「伊勢に地ビール誕生」と報じられ、私は図らずしも「伊勢」という大きな看板を背負うことになってしまいました。神様が住む伊勢で代々家業を営んできた私にとって、「伊勢のビール」と言われるからには、その名前に恥じないものでなければならない、世界で通用するビールを目指そうと。
そう思った私は、開業した1997年に日本地ビール協会が認定するジャッジやマスター・イバリュエイター(資格取得時の名称)などの上位資格まで取りました。これはビールの国際品評会で審査員を務めることができる資格。「世界基準」を知るためには、世界中のビールからそれを選ぶ側、つまり審査員になることが近道だと思ったんです。実際に、国際大会の場で世界中の目利きから得られる知識も大いに役立ちました。こうして2003年、格式ある世界大会「Australian International Beer Award(AIBA)」で、看板商品の「ペールエール」が金賞をとったんです。日本のメーカーでは初となる快挙でした。
これを皮切りに多くの審査会で賞をいただけるようになりましたが、売れないんです。
世界一になったのにビールが売れない。開業当初から苦しい経営状態で2年ぐらいはまともに給料をとらず、妻にも相当つらい思いをさせていたのに、藁にもすがる思いで手に入れた世界一でもこの状態かと。お客様にとっては世界一の称号だけでは意味がなかったんですよね。経営者としての考えが足りなかった。期待していただけにひどく落胆しましたが、大きな投資を続けてきてここで白旗を上げるわけにはいかない。もう引き下がれない状態でした(笑)。
力不足を痛感してから必死でマーケティングや経営の勉強をスタート。
商品展開から見直すとともに、三重大学大学院に通って念願だった野生酵母の研究にも着手しました。そこで伊勢市内にある神宮林の樹液から採取した酵母を単離・培養して香気成分を調べたところ、ビール酵母として使えるおもしろい香りをもつ酵母を見つけたんです。「KADOYA01」と名付けたこの新種の野生酵母を使って商品化したビールが、2014年に発売した「HIME WHITE(ヒメホワイト)」です。他では真似できないオジリナリティや“伊勢”という物語性もあって当社を代表するビールになりました。
この頃には経営も上向きになっていて小さな工場では対応しきれない状態。
数年悩んだ末に、将来を見据えて2018年に新工場設立に踏み切りましたが、これが大きな試練を迎えることになりました。新工場で仕込んだビールに想定以上の品質の差があったんです。同じレシピでも環境が変われば味が変わるのは当然ですが、麦芽の粉砕機から機材すべてが変わり、タンクサイズを4000Lに拡大したことで仕込み量も違えば仕込み水の品質も違う。あらゆる条件が変わったことで想定以上のバラつきが出てしまったんです。特にペールエールはどうしても納得できず、このまま出すわけにいかないと泣く泣く8000Lのビールを廃棄することに……。ブルワーとしてこれほどつらいことはありません。一つずつ原因を探り続けてようやく従来の品質にたどり着いたのが新工場の稼働から半年後、2019年1月でした。投資回収のためにすぐにでも出荷したい気持ちは山々でしたが、ブランドクオリティを守るために必要な試練だったと思っています。私たちは常に「最高のおいしさ」を目指さないといけないんです。
ビールは生活になくても生きていけます。ましてやクラフトビールは贅沢品。
ですが、ストレスフルな日々の中で、おいしいお酒が心をほぐしてくれることもあるでしょう。私も昨夜、ちょっといいシングルモルトウイスキーを開けたところです。おいしいお酒は日常をアップグレードしてくれるもの。生活必需品ではないからこそ、お客様においしいと言っていただける最高のものを造らないと私たちには存在価値がありません。
全社員、いつもその姿勢でビールに向き合っています。
取材・文/山口 紗佳
ビールに限らず、こだわりをもった異業種ともコラボレーションしていきたいですね。自社にない視点を取り入れることで新たな価値を見い出したり、技術力を高めることができたり、世界が一段と広がります。その成果をおいしいビールとしてお客様に還元していけたら。『ビールの縁側』を通じて、フレッシュな状態で飲める私たちのビールが日々を豊かに、いつもの食卓をアップグレードしてくれることを願っています。
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