南信州ビール(長野県)のはなし
夏の終わりは紅玉、秋の深まりはシナノスイート。
りんごの種類で信州の季節を感じられるのが「アップルホップ」です。
南信州ビール
長野県上伊那郡
長野県南部、中央アルプスと南アルプスに抱かれた標高800mに位置する宮田村は、四季折々の美しい景観を楽しめながらも暮らしやすい住環境から、近年では移住者に人気の地域です。その宮田村に1996年に長野県で最初にできたビールメーカーが「南信州ビール」。「マルスウイスキー」を製造する本坊酒造マルス信州蒸溜所内にあり、中央アルプスの雪解け水を含んだ良質な地下水を使い、澄んだ空気の中でビールの醸造をしています。2008年から醸造に携わる製造係長の丹羽隆さんにお話を聞きました。
地元の魅力とクラフトビールの奥深い世界、理想の生活はここにあった。
東京農業大学の応用生物科学部出身ですが、私は醸造ではなく管理栄養士の勉強をしていたんです。母が管理栄養士をしていて家庭生活でも食の大切さを意識していたのでその影響もあったのかもしれません。でも栄養士の世界は圧倒的に女性が多くて、男性が通える共学校が少なかったものですから、進学で地元の駒ヶ根市から東京に上京しました。
もともとビールは好きで、浴びるように飲んでいました(笑)。
サークルの飲み会で幹事をしていたので、「あの店はクラッシックなラガーを扱っている」「あのお店の生はドライなビール」と、お店で扱うビールをリサーチして、出席者の好みに合わせてお店選びをしたぐらい(笑)。ただ、クラフトビールは下北沢のビアバーで飲んだこともありましたが、当時は地ビールブームも過ぎ去っていた2000年代前半。印象としては、「珍しいビールもあるんだなぁ」というぐらい。当然、南信州ビールとの出会いも学生時代にはありませんでした。
大学卒業後は物流と商売の勉強をするために、3年間名古屋で小売業を経験した後、Uターンという形で駒ヶ根市に戻って、観光業で働いていた姉の紹介で南信州ビールの直営レストラン「味わい工房」の1階にあるお土産ショップでアルバイトをしていました。そんなある日、醸造所の所長を務める竹平常務に「東京農大出身ならブルワーやってみない?」と声をかけていただいたんです。ビール好きだったこともあって、「ぜひ!」と二つ返事で引き受けました。この偶然の一言がなければ、僕のブルワー人生はなかったかもしれません(笑)。
実際にビール造りをしてみると、それまで抱いていた機械製造のイメージと違って予想以上にアナログで“クラフト感”がありましたね。粉砕した麦芽とお湯を櫂棒(かいぼう)で混ぜたり、発酵中の香りをチェックしたり。もちろん機械で測定して数値で管理する部分もありますが、それよりも大事なのは人の五感や感性なんだと。機械操作や作業を覚えるだけでは魂のこもったビールは造れない。技術と気持ちが一つになって、南信州ビールができあがるんです。醸造の世界は奥深くて楽しいです。
それに、やっぱり地元が肌に合ってるんですよね。
若いころは都会に出たい!と思っていたんですが、今はブルワーとして地元に貢献できることがうれしいです。中でも特に思い入れがあるのが、駒ケ根市と宮田村で栽培した二条大麦を100%使った「宝剣岳エール」。
地元の市村が協働で栽培した二条大麦「小春二条」のモルトを原料にした商品で、2017年から毎年販売しています。正直最初は不安が拭えませんでした。ビール造りに適した品質に育つかどうかって。でも、この不安は杞憂でした。実際に成分分析した結果を見ると、ビール用麦芽として普段原料として使用するモルトと遜色ないものだとわかったんです。
さらにうれしいことに、南信州ビールらしいやわらかい風味も醸されて、地元のモルトを使って本当の意味での「地ビール」ができました。南信州ビールとしても、一つのターニングポイントになったのではないかと思います。
ビール×地域素材。垣根を越えた掛け算で魅力的な商品をつくりたい。
発売以来、男女問わず人気の「アップルホップ」も地元の素材と深いかかわりがあります。アップルホップは生食用として売れなくなってしまったりんごを原料にしたフルーツビールです。台風で落下したものや大きさが足らないなど、規格外の作物を活用できないかと、地元の農家さんから相談を持ち掛けられたのがきっかけです。せっかく大事に育てたものが廃棄されてしまうのはもったいない。なにか活用できないかと、竹平所長の強い想いで商品化に動きました。商品化したのは2008年。当時入社したばかりの私は、竹平所長のこの想いに地元への強い愛を感じました。その気持ちこそが南信州ビールを造り上げているんだと。
アップルホップはフルーツビールといっても甘ったるさはなく、爽やかなりんごの酸味と麦芽がバランスした飲みごたえのあるものに仕上げています。りんごは基本的には単一品種で使っていて、仕込むロットごとに使う品種が違います。今は「ふじ」「紅玉」「シナノスイート」「シナノゴールド」「つがる」「王林」「秋映」の7品種がメインですね。特に違いがわかりやすいのが“酸味の出かた”だと思います。糖分は発酵によってアルコールに代わるので、生のりんごを食べたときの甘さには比例しませんが、品種によって酸味や香り、甘さの質が違うので、ビールにしたときもそれぞれの特徴が前面に出てきます。つまり、時期によって違うりんごの味わいが楽しめる。
これは信州に住む人にとっては当たり前のことなんです。
紅玉や、つがるを店先で見かけると「りんごの季節がきたなぁ」と思うし、秋も真っ盛りになるとシナノスイートがずらりと並びます。りんごの品種で季節の移ろいを感じるんです。アップルホップというビールを通じて、長野県産のりんごとその先にある生産者のことを知ってもらいたいと思っています。
アップルホップは2010年に開催された「ジャパン・ビアフェスティバル東京」で、来場者の人気投票で決まる「東京都知事賞」を受賞しました。これをきっかけに引き合いが一気に増えて、今では南信州ビールの看板商品のひとつになりました。入社3年目だった私にとっても、アップルホップがブルワーとしての自信につながる商品になったと思っています。アップルホップとともに育ってきたような感覚です(笑)。なんでもかんでも地元の特産品をビールにしようとは思っていませんが、できる限り地域の特徴と生産者の想いを形として表現できればいいなぁと思っています。
同じ敷地内にある本坊酒造マルス信州蒸溜所ではウイスキーも造っていて、それぞれ技術をプロダクトに活かすことができるのも南信州ビールの強さだと思います。たとえば「IPA -KOMAGATAKE CASK FERMENTED-」のように、ウイスキーを熟成したバーボン樽でIPAを発酵、熟成させることで、ホップの爽やかな苦味と香り、カスク由来の木香が楽しめるオリジナルの商品も生まれました。
山ぶどうをルーツにもつ「ヤマソーヴィニヨン」の果汁を使った「ヤマソーホップ」もおもしろいですよ! 山ぶどう由来の重厚なフレーバーと酸味があって、泡立ちも楽しめてシャンパンのニュアンスも感じられます。自由度の高いビール(発泡酒)だからこそできる商品です。
地元の人と協力して、ビール造りという「食」の文化を通じて長野の良さを伝える。
そんなブルワーという仕事にやりがいを感じる毎日です。
取材・文/山口 紗佳
樽生のビールをどこでも好きな環境で楽しめるのが魅力だと思います。南信州ビールが造られる駒ヶ岳醸造所のように、ぜひ大自然を感じられる環境でビールを楽しんでください。
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