ビールの縁側

野沢温泉のこの土地でしか造れないテロワール。 100樽に及ぶ樽アーカイブもAJBの財産ですね。

スーツケースを1つずつ引っ張ってこの村へ。仕事も家も決めずにね(笑)

日本で唯一、村名に「温泉」がつくことが象徴するように、多くの源泉が湧き出る村内には無料で利用できる13の外湯(共同浴場)があり、信州屈指の名湯として知られています。温泉情緒を宿した昔ながらの町並みに加えて、雪深い冬場は良質なパウダースノーが楽しめるスキー場もあり、2000年代後半から外国人観光客が急増。スノーシーズンになると村中が外国人スキー客で活気づきます。2014年1月、野沢温泉街の中心部に英国人トーマス・リヴシーさんと妻の絵美子さんが開業した醸造所が「Anglo Japanese Brewing(以下、AJB)」とタップルームの「里武士」。代表を務める絵美子さんにお話を聞きました。

スノーボード旅でトムが初めて日本に来た2010年当時、村ではほとんど英語も通じなかったし、アクセスも良いとは言えず、不便ばかりだったと思います。そもそも村に来るまでが大冒険。実は福島県にも「野沢」という地名があって、彼は間違えて福島に行っちゃって(笑)。福島で間違いに気づいて、予約していた民宿の女将さんに電話して2日間かけて長野県の野沢温泉村に戻って来たんです。女将さんも英語が得意ではなかったのに、滞在中も親身に彼をもてなしてくれたようで、そんな人の温かさが心に響いたんでしょうね。 人生の次のステップを考えたとき、野沢移住を提案したのはトムでした。 今でこそ英語対応やキャッシュレス化など海外対応が進みましたが、彼は野沢温泉村の人たちの気取らず、飾らない人柄や、リゾートっぽくないありのままの素朴さが気に入ったようです。逆に私の方は日本に戻ることを考えていませんでした(笑)。

私がロンドンで出会ったとき、トムはアートの世界の人だったんです。

外資系の銀行で働いて転勤で5年ほどロンドンに住んでいた私は、イギリスの芸術大学の大学院を出て、彫刻家として活動していた彼と出会いました。二人で約1年間、バックパッカーとして世界中を旅して、彼の故郷であるダービシャー州に落ち着きましたが、カントリーサイドで野菜を育てる生活が私の人生観をガラッと変えました。そして2012年、28歳のときに彼が惚れ込んだ野沢温泉村に移り住むことにしたんです。スーツケースを1つずつ持って。

とりあえず気に入った場所に行ってみよう、仕事はそれから考えようと(笑)。

ブルワリーのことは全く頭になかったですね。

「食」に興味があったので、仕事は料理とお酒を合わせるポップアップイベントから始めました。土地を持っている村の人に一升瓶を持って挨拶に行って、畑を借りて有機野菜を育てながら日本各地の食材を集めて。ところが日本酒やワインはたくさんあるのにビールがないんです。クラフトビールも飲みたいと思えるものがなくて、ないなら自分たちが飲みたいビールを造ろう、そう思ったのがAJBのはじまり。

エールビールの本場、イギリスではどの街にもブルワリーがあるので、私たちは日常的にローカルビールを飲んでいましたし、ブルワリーの手伝いやホームブリューを経験していた彼には醸造ノウハウもありました。温泉とビールは相性抜群で野沢に人を呼び込むツールになります。クラフトビールを飲んだことがない村の人も、相談すると「ぜひ造ってほしい!」と精一杯応援してくれました。

人口4000人足らずの小さな温泉町には不動産屋もなくて、土地探しは1軒ずつ空き家を覗いて確認。「里武士」の場所は、温泉街の中心にある浴場「大湯」の向かいにある旅館の空き家でした。人通りの多い角地でお店をやるには最高の立地。ただし長らく放置されていたので中はぐちゃぐちゃ(笑)。二人で床を剥がして少しずつDIYで整えて、2014年1月にAJBとしてオープン。イギリスのパブには欠かせないハンドポンプを設置して、当初から英国式のビターエールやサワーエールを出しました。

地元の人にはビックリされましたよ!

炭酸が少なくて泡のないビターエールを飲んで、「なんじゃこりゃ!?」と驚かれたご夫婦が、翌日も「あの麦茶みたいなビールが飲みたくなった」と顔を出してくださって(笑)。ご夫婦は今も大切な常連さんです。サワーエールを造るところは珍しかったので、新作を出すと真っ先に飲みに来てくれる人も。「ここのビールを飲んで、嫌いだったビールが好きになった」と言われたときは、ビールの世界を広げることができてうれしかったです。

AJBを象徴するサワーとバレルエイジは、クリエイティブを発揮できるステージ

AJBのオリジナリティでいえば、野生酵母を使ったサワーエールと創業当時から力を入れている「バレルエイジビール」ですね。ビールをウイスキーやワインの木樽で熟成させて、香りや味に深みをもたせたものです。さまざまな酵母やバクテリアを研究して試行錯誤しながら仕込んできましたが、里武士では300Lのタンク達で精一杯。熟成樽を保管できるスペースは到底ありません。そこで、2017年にブルワリーを拡張して5000Lのオーク製のフーダー(木樽)を2基導入しました。

このフーダーでサワーやセゾン、インペリアルスタウトなどさまざまなビールを熟成させたり、熟成したビール同士をブレンドしたり、掛け合わせることでクリエイティブなビールがどんどん生まれます。芸術家肌のトムが独創的な発想を発揮できるステージなんです。どのビールも野沢温泉のこの環境、この地でしか造れないテロワール。今では100樽ほどになった樽のアーカイブもAJBの大切な財産です。

サワーとバレルエイジは多くのファンに支持されていますが、日本では飲める機会も限られますし基本的には高価で希少なものです。そこで、2018年にそれらを一堂に集めた「SSBBフェスティバル」を開催しました。「SSBB」は、Saison(セゾン)、Sour(サワー)、Barrel(バレル)、Brett(ブレット)(※1)を表す頭文字で、サワーとエイジングビールを集めた日本初のイベントです。紅葉の美しい北竜湖のほとりに注目度の高い海外のブルワーも招き、120種類のレアでユニークなビールを扱いました。以前からイベントをしたいと思っていましたが、どこでもあるものではおもしろくなですし、やるならAJBらしい斬新なものがやってみたいと思っていたんです。普通のビールイベントでは忙しくて売り子に徹してしまいがちなブルワーも、SSBBでは遊び心にあふれたビールにどっぷり浸って楽しんでもらえたようです。飲み手も造り手も、みんながハッピーになれるイベントがいいですね!

私たちが造るのは、あくまでも「自分たちが飲みたいビール」です。

2019年から、フランス料理店のシェフの呼びかけで、2019年から廃棄パンを使った「bread beer」をリリースしていますが、これも「ビールとしておいしいこと」が大前提。フードロスを解決するものだとしても、パンを使うことで少しでもおいしさを損なうのであれば、メーカーとして協力できなかったと思います。社会問題や環境のためとはいえ、おいしくなければ結局は飲んでもらえず、本末転倒になってしまいますから。

自信を持って自分たちがおいしいと思うビールを出す。

目指すのは、一杯、また一杯とずっと飲んでいたいと思えるビールです。

AJBは創業当時からその心持ちでビールに情熱を注いでいます。

 

(※1) Brettanomyces(ブレタノマイセス)酵母の略。サワービールに酸味を与える野生酵母の一種。

 

取材・文/山口 紗佳

鈴木オーナー

ボトルや缶商品も販売していますが、タンクから直接充填されるフレッシュなものを味わえるのは魅力的です。実際に野沢温泉のタップルームを訪れたときのように、ここで飲むビールと同じ味を楽しんでください。

OTHER BREWERIES

その他のブルワリー

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Monterey Brewing

長野県塩尻市

福島のおいしいビールをお届けすることが一番の恩返しになるから、技術を磨き続ける。

みちのく福島路ビールは、福島市郊外の丘陵にあるアンナガーデン内に1997年に創業された家族経営の醸造所。吾妻山系を臨むうつくしいガーデン内で、厳選された原料と地元の果物を使ってつくられるビールにはファンも多くいます。現在醸造長を務める吉田真二さんは、2009年にホテルの仕事からビール醸造の世界に飛び込みました。醸造への不安や、東日本大震災によって何度も壁に当たりますが、その度に手を差し伸べてくれたお客さんやブルワー仲間、家族がいました。多くの人たちとの助け合いの輪が、今のみちのく福島路ビールのおいしさにつながっています。

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福島路ビール(福島県)吉田 真二

福島県福島市

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カルテットブルーイング(長野県)椎名 将

長野県軽井沢町

もっと自由に!もっと面白く!もっと気軽に!クラフトビールを身近なものにしたい

「Vector Brewing」がある東京都台東区浅草橋は、下町の情緒が残るモノづくりの町。2016年に新宿で誕生した醸造所は、2017年に醸造の拠点を浅草橋に移し、常に“面白い”ビールを発信しています。それはクラフトビールをもっと自由で気軽に楽しんでもらうため。ユニークなデザインとネーミング、豊富なラインナップは初心者でも手に取りやく、クラフトビールファンをジワジワと増やしています。元銀行員でラガーマンだという異色の経歴をお持ちのブルワー三木敬介さんにお話を伺いました。

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VECTOR BREWING

東京都大田区

ビール文化が根づいたカナダのように、日本でもおいしいビールを気軽に

北海道の中部、石狩平野の中央にある江別市は、国産小麦の代表格として知られる「ハルユタカ」が生まれた土地。パンや麵、スイーツ、ビール醸造に適した国産品種がいくつも誕生した日本有数の小麦の産地です。札幌市の中心部から近く、空港や港湾へのアクセスも良いことから、生活に便利なベッドタウンでもあります。その江別自慢の「ハルユタカ」を使ってビールを醸造しているのが、2009年から江別市で醸造をしている「NORTH ISLAND BEER」。元ヘッドブルワーで現在は取締役工場長を務める多賀谷壮さんにお話を聞きました。

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NORTH ISLAD BEER(北海道)多賀谷 壮

北海道江別市

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