Brimmer Brewing(神奈川県)のはなし
Sierra Nevadaから静岡、そして川崎・久地へ。 僕らのホームタウンで、まちの人が誇れるものを
Brimmer Brewing
神奈川県川崎市
多摩川に接し、府中街道や二ヶ領用水が走る久地は、多摩川を挟んで世田谷区や主要駅へのアクセスが良く、緑豊かで落ち着いたエリア。この久地を拠点としてビール造りをしているのが、カリフォルニア出身のScott Brimmerさんと奥様で会社代表を務める小黒佳子さんご夫妻が運営する「Brimmer Brewing」です。JR南武線の久地駅から武蔵小杉方面に徒歩10分ほど、さまざまな工場と住宅が入り混じる府中街道沿いにあります。2012年2月の醸造スタートから二人三脚で歩み続けてきたBrimmerご夫妻にお話を聞きました。
パブの皿洗いからステップアップ。勝ち取ったシエラネバダのブルワー職
Scott:シエラネバダ(※1)でブルワーのポジションをつかんだときは、誇り高い気持ちと責任感でいっぱいでした。
誰もが憧れる花形の仕事ですからね。シエラネバダの規模になると分業化が進んでいて、入社しても醸造に携われる人間はほんのひと握り。当時、製造部門全体の従業員がおよそ100名で、そのうち醸造業務、つまりブルワーは8名。その数少ない席を獲得できたときは心が震えましたよ。学生時代にシエラネバダのパブの皿洗いのアルバイトからスタートして、そこからホールの片づけ、バーテンダー、そして工場のツアーガイドと、4年半もかけてステップアップしてきましたから。
観光名所でもある工場には見学者が大勢訪れるので、見学ツアー担当のスタッフもいるんです。もちろんツアーガイドも醸造の知識は必須。少しでも参加者に満足してもらいたくて、パブを訪れたブルーマスターに聞いたり、パブが休みの日は醸造所で彼らを手伝いながら目で見て覚えたり、ブルワーに近づくためにあらゆる努力をしました。ブルワーの職が得られる保証なんてなかったのに(笑)。その情熱が認められて、2002年に従業員として醸造メンバーに加わることができました。憧れのブルワー、天にも昇る気分です。
それから4年間、ブルワーとして夢中で働き、2006年に退職して来日することになりました。なんでシエラネバダを辞めて日本に来たのか? 一番の理由は大切な家族のそばにいるため。僕は佳子と家族が安心して過ごせる場所を選びました。
佳子:Scottとは同じカリフォルニアの大学で留学中に出会いました。といっても学内では会ったことがなくて(笑)。大学近くのバーで一緒に飲むうちに親しくなって、帰国後に再びアメリカを訪れた際にシエラネバダのバーで働いていた彼と再会して付き合いが始まって、2001年に結婚したんです。川崎市に住む両親の体調不良がわかったときは日本に戻って近くで支えたいと思いましたが、そうすると彼は安定性も将来性もある憧れの仕事を辞めて日本に来ることになる。大きな覚悟をともなう決断でしたが、彼は快く受け入れてくれたんです。そんな彼に対してありがたい気持ちと不安と……どちらもありましたが、どんなときでもポジティブな彼が気を楽にしてくれました。
Scott:他の仕事なんて考えられませんでしたね。
僕はビール造りしかできないけれど、幸いビールはどこの国でも飲まれている大衆的なアルコールドリンク。身につけた醸造技術はどこでも通用するだろうと考えていたんです。すると、キャリアを活かせる仕事が見つかりました。「御殿場高原ビール」です。静岡県の東部なら川崎も遠くない。夫婦で静岡に移り住んで、僕は日本のブルワリーで再スタートを切ることにしました。
(※1) Sierra Nevada Brewing Company
1980年にカリフォルニア州のチコで自家醸造からはじまったビールメーカーのトップブランドで、アメリカのクラフトビール業界を牽引してきたパイオニア。
「今、この波に乗らないと後悔する」 Scottの言葉を信じて、あとはやるしかない。
Scott:ブルワリーやブルワーの数だけ、醸造哲学があります。
扱う設備が違えば、原材料も醸造方法も造るビールのスタイルも違う。そこでの経験はそこでしか得られないものです。御殿場高原ビールでは、コンピューター管理されたシエラネバダの醸造システムでは叶わなかったアナログの醸造経験ができました。日本では規模の大きな御殿場高原ビールですが、それでもシエラネバダに比べたら小規模です。頭と体を動かして、手作業でビールと向き合ったことで、ブルワーとしての経験値がずいぶん上がったと思います。ジャーマンスタイルのビールを造るのも初めてでしたしね。
佳子:御殿場高原ビールは恵まれた環境でとてもよくしていただきましたが、次第にScottの中で「ブルワーとしてのこだわりを100%反映したビールを造りたい」という思いが膨らんできました。私と家族のために日本を選んでくれた彼です。今度は私が彼の夢に協力する番でしょう。とはいえ、事業を立ち上げるなんて、とてつもない不安を感じて私は尻込みしていました。でも彼、“勘”がいいんです(笑)。ここぞというときに外さない勝負強さがあって、タイミングを見極めるのがうまいんですよね。
当時は首都圏でクラフトビールが再び盛り上がりを見せ始めたころ。
最後は彼の「今この波に乗らないときっと後悔する」という言葉に背中を押されて腹をくくりました。地元の川崎にはまだビールメーカーが少なかったのでビジネスチャンスだと。これが1年遅かったら全く違う未来になっていたかもしれません。
2011年4月に会社を設立してからは、工場の物件探し、設備探し、資金調達に免許の申請と、同時進行の何もかもが大変すぎて、当時の記憶はほとんどないんですよ(笑)。
ただ、免許がおりるまでは毎日不安だったことは覚えています。子供も小さくて、やっていけなかったらどうしようって。無事免許がおりて醸造が始まってからも月々の支払いの不安はなかなか尽きず、二人でアルバイトをしたり、家族に援助してもらったりして。軌道に乗るまで3年ぐらいかかったでしょうか。高津区の区民祭や川崎の市民祭など、地元のイベントに出店してから地域に溶け込むようになって、2015年ぐらいから経営が安定して余裕がもてるようになりました。喧嘩もたくさんしたけど、同時にScottの楽観さにも救われています。
Scott:彼女が経営を担ってくれたおかげで僕は醸造に専念できたんです。
僕が理想とするビール造りに欠かせない醸造設備、シエラネバダもこだわっていた銅製の仕込み釜も手に入れることができた。中古でも状態の良いものをね。
Brimmer Brewingのコンセプトは、基本を大切にしたトラディショナルなスタイル。
定番のペールエールとゴールデンエール、ポーターは奇をてらわない、オーソドックスなバランスを重視しています。それこそが自分が飲みたいと思うビールだから。だから、川崎のクラフトビールとして知られるようになったのはとてもうれしいね。ホームタウンで、まちの人が地元名物として誇らしく思えるビールでありたいと思っているから。
佳子:私たちにとっても2020年は大変な年でしたが、先行きの見えない不安な世の中だからこそ、Scottのようにプラスに考える力が大切なのかもしれません。これからも目の前に起こることを柔軟に受け入れながら、二人三脚で進んでいきたいと思います。
取材・文/山口 紗佳
Scott:仕事や家事、勉強で頑張った1日の疲れを癒して、リラックスさせてくれるビールでありたいと思っています。暗く落ち込んだときは、やさしく包み込んで心を解放してくれるビール。先が見えない大変な世の中だけど、このビールを飲んでほっと一息ついてほしい。
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