船場ビール工場(大阪府)のはなし
“糸偏(いとへん)のまち”船場で。老舗ベルギービール専門店が、歴史や文化をビールに編む
船場ビール工場
大阪府大阪市中央区
大阪・船場。古くから商人の町として栄え、繊維や金融の街として大阪経済の中心を担ってきました。碁盤の目のように整然とした通りが広がるビジネス街でありながら、近年はタワーマンションの建設も進み、新旧の文化が交差する場所でもあります。この船場で30年以上の歴史を持つベルギービール専門店「ドルフィンズ(DOLPHINS)」が2023年オープンしたのが「船場ビール工場」。代表の中井深さんにお話を聞きました。
糸編のまち、商人のまち、変わりゆく船場の地下で。
うちの工場の入口、幅70cmぐらいしかないんですよ、本当に細い(笑)。
でも階段を降りて中に入ると、バーッと広い空間が広がってるんです。

ちょっとした異世界に入ったような感覚になります。僕もね、この秘密基地に入っていくような非日常感が好きなんです。ベルギービール専門店時代から長年ここで商いをしてきた僕にとっても、愛着のある空間です。
ビジネス街なので平日は仕事帰りのお客様が多いですが、夕方5時台になると女性が一人でふらっと立ち寄ってくれることがあるんです。カウンターでパイントグラスをぐいっと一杯飲んで、「ああ、これで帰れるわ」って。仕事とプライベート、ONとOFFを切り替えるスイッチみたいにうちのビールを使ってくれている。そういう瞬間にうちのビールを選んでもらえるのはうれしいことですよ。船場で生きる人たちをちょっとでも応援できてるんかなって。

だからうちでビールを造るときも、この「船場」という土地のアイデンティティはすごく大切にしました。船場ビール工場のロゴマーク、碁盤の目みたいになってるでしょう?船場は大阪城の城下町として整備された場所で、通り(東西)と筋(南北)がきれいに交差してるんです。そして船場は昔から「糸偏(いとへん)の町」。反物とか繊維とか、そういう問屋さんが集まる商人の町でした。その「碁盤の目」と「繊維を編んだ感じ」を組み合わせて、このロゴはできています。

よく見ると、線の色が一本一本違うでしょう。
これも意味があって。船場も時代に流れでものすごく様変わりしたんです。この15年ぐらいでタワーマンションが建ち始めて、住民が一気に増えた。万博の影響でホテルも増えたから旅行者もたくさん来る。
いろんな背景を持った人たちが新しくこの町に入ってきて、組み合わさって、今の船場を形作っている。カラフルな糸には、新旧の融合みたいな意味も込めているんですよ。
自社醸造への転換。コロナ禍を経て「造る側」へ
僕が飲食業の世界に入ったのは1985年。
今でいうバルのような、ビールとワインを気楽に飲める店を始めたのが最初です。「プラザ合意」のあと急激に円高になって、輸入ビールが格安で手に入るようになったんです。本町のビジネスマンは海外経験も豊富だから、珍しいビールを仕入れると「あ、これあそこで飲んだわ」なんて話で盛り上がる。それがおもしろくてね!中にでも特に個性的だったのがベルギービール。人生を変えた一杯を挙げるなら、やっぱり「ヒューガルデン・ホワイト」かな。
当時日本はスーパードライ全盛期。喉越しとキレが正義の時代に、ビールを「フルーティー」と表現するのがびっくりですよね。そこからもっと知ろうと勉強し始めたら、もうベルギービールの魅力にどっぷりですよ(笑)。当時、大阪にはまだ専門店がなくて、東京の「ブラッセルズ」さんなんかを見て、「サラリーマンがこんなかっこよくベルギービール飲んでるのか!」と衝撃を受けて。それで1999年にベルギービール専門店(ドルフィンズ)に舵を切ったんです。

自社でビールを造ろうという話2018年頃に出ていたんです。
資金面の課題をいろいろ考えているうちにコロナが来た。飲食店は本当に難しかった。働く人のモチベーションも下がっていく。経営者として、これは苦しかった。そこで改めて考えたんです。「飲食店」一本に頼るのは本当に怖いな、と。それで、もう一つの柱として「製造業」をやろう、と。幸い長年ベルギービールを扱ってきた経験と知識がある。それならビール造りに挑戦しよう、と。それが2021年の暮れですね。
まず自社醸造を始めるにあたって、「ブリューパブスタンダード」の代表で醸造責任者の松尾弘寿さんに醸造技術の指導をお願いしました。飲食業を長くやってきた身としても、製造業の世界に入ったときは戸惑いの連続。製造免許や税務署とのやりとりなど、これまでの感覚とはまるで違う世界でしたね。

さらに当初は飲食店と並行して醸造所を運営するつもりでしたが、コロナ後に経営環境も大きく変化して、最終的にはすべての飲食店を閉めて、この船場ビール工場一本の集中する決断をしました。長年続けてきた店を手放すのはつらかったし、手堅い売り先を失う不安はもちろん大きかった。でも、新しい挑戦として、真剣にものづくりに向き合う覚悟を固めました。
ビールが生まれた歴史や文化を感じてもらいたい。
船場ビール工場で大切にしているのは、「バランスの良いビール」であること。

どこかが突出するんじゃなくて、飲み続けても疲れない、おかわりもできるビールです。「バランスがいい」というと個性がないように聞こえるかもしれませんが、その中にも“このビールにしかない”味わいを込めたいと思っています。
定番はペールエール、ゴールデンエール、ベルジャンブラウンの3種類。
どれもホップを強く効かせたIPAのようなタイプではなく、モルトや酵母の香りを感じながら、穏やかに楽しめるスタイルですね。

初めて自社ビールをリリースしたときに、昔なじみの常連さんからも「ドルフィンズらしい味やな」って言ってもらえました。急にホップが効いたものが出てくるんじゃなくて、安心してもらえたかな(笑)。IPAやトレンドのスタイルも造りますが、基本は「クラシカル」で「スタンダード」スタイル。しっかり発酵感や麦の旨味を感じられるビールがいいですね。いずれはボトルコンディション(瓶内二次発酵)もチャレンジしたい。
レシピを決めるときは、まず「ゴール」を明確に決めます。
長年の経験で「こういうビールにしたい」という明確なイメージがある。あとは醸造担当の娘と、「数値的にはこうだけど、たぶんこうなるから、もうちょっと減らそうか」なんて言いながら、経験と感覚で調整していく。そこはもう、娘からも信頼してもらってると思います(笑)。二人で造ってますが、ビールの好みは全然違うんですよ。娘はやっぱり、もうちょっとホップが効いたものが好きみたい(笑)。でも、その違いがいい。

もちろん、僕がやりたいクラシックなスタイルは柱として続けます。
でも、それだけじゃだめだとも思ってる。娘も新しいチャレンジをしたいと言っているし、僕も頑固に「これしか造らん」というつもりは全くありません。そのうち、「あれ?これ全然船場ビールらしくないな」っていうのも出てくるかもしれません(笑)。そんな新しい挑戦もどんどんやっていって、技術を上げていってほしいですからね。
船場ビール工場として続けたいのは、ビールの味というよりも、背景にある「物語」をお客さんと共有すること。「なんでこんな味になったんやろ?」っていう歴史や文化。例えば、最近造ったアイリッシュ・レッドエール。あれって、アイルランドの水が軟水だから、イギリスみたいな苦いエールが造れなかった、っていう背景がある。結果として、口当たりがやさしくて、カラメルモルトの甘さと香ばしさを楽しめるビールが生まれたんです。
そういうストーリーを継承していくことが、お客さんとの共通言語や価値になっていくと思うんです。
取材・文/山口紗佳
【公式HP】https://sembabeer.com/
【facebook】https://www.facebook.com/sembabeer
【Instagram】https://www.instagram.com/sembabeer/
【X】https://x.com/sembabeer
大切にしているのは「バランス」。麦の旨味や酵母の香りを感じながら、何杯でもおかわりしたくなる。そんな「飲み続けられる」ビールです。仕事帰りにスイッチを切り替えたいとき、食事と合わせて「しみじみ旨い」と感じたいとき。そんな日常の中で解放される時間に、ぜひ選んでもらえるとうれしいです。
船場ビール工場
大阪府大阪市中央区
大阪・船場。古くから商人の町として栄え、繊維や金融の街として大阪経済の中心を担ってきました。碁盤の目のように整然とした通りが広がるビジネス街でありながら、近年はタワーマンションの建設も進み、新旧の文化が交差する場所でもあります。この船場で30年以上の歴史を持つベルギービール専門店「ドルフィンズ(DOLPHINS)」が2023年オープンしたのが「船場ビール工場」。代表の中井深さんにお話を聞きました。
糸編のまち、商人のまち、変わりゆく船場の地下で。
うちの工場の入口、幅70cmぐらいしかないんですよ、本当に細い(笑)。
でも階段を降りて中に入ると、バーッと広い空間が広がってるんです。

ちょっとした異世界に入ったような感覚になります。僕もね、この秘密基地に入っていくような非日常感が好きなんです。ベルギービール専門店時代から長年ここで商いをしてきた僕にとっても、愛着のある空間です。
ビジネス街なので平日は仕事帰りのお客様が多いですが、夕方5時台になると女性が一人でふらっと立ち寄ってくれることがあるんです。カウンターでパイントグラスをぐいっと一杯飲んで、「ああ、これで帰れるわ」って。仕事とプライベート、ONとOFFを切り替えるスイッチみたいにうちのビールを使ってくれている。そういう瞬間にうちのビールを選んでもらえるのはうれしいことですよ。船場で生きる人たちをちょっとでも応援できてるんかなって。

だからうちでビールを造るときも、この「船場」という土地のアイデンティティはすごく大切にしました。船場ビール工場のロゴマーク、碁盤の目みたいになってるでしょう?船場は大阪城の城下町として整備された場所で、通り(東西)と筋(南北)がきれいに交差してるんです。そして船場は昔から「糸偏(いとへん)の町」。反物とか繊維とか、そういう問屋さんが集まる商人の町でした。その「碁盤の目」と「繊維を編んだ感じ」を組み合わせて、このロゴはできています。

よく見ると、線の色が一本一本違うでしょう。
これも意味があって。船場も時代に流れでものすごく様変わりしたんです。この15年ぐらいでタワーマンションが建ち始めて、住民が一気に増えた。万博の影響でホテルも増えたから旅行者もたくさん来る。
いろんな背景を持った人たちが新しくこの町に入ってきて、組み合わさって、今の船場を形作っている。カラフルな糸には、新旧の融合みたいな意味も込めているんですよ。
自社醸造への転換。コロナ禍を経て「造る側」へ
僕が飲食業の世界に入ったのは1985年。
今でいうバルのような、ビールとワインを気楽に飲める店を始めたのが最初です。「プラザ合意」のあと急激に円高になって、輸入ビールが格安で手に入るようになったんです。本町のビジネスマンは海外経験も豊富だから、珍しいビールを仕入れると「あ、これあそこで飲んだわ」なんて話で盛り上がる。それがおもしろくてね!中にでも特に個性的だったのがベルギービール。人生を変えた一杯を挙げるなら、やっぱり「ヒューガルデン・ホワイト」かな。
当時日本はスーパードライ全盛期。喉越しとキレが正義の時代に、ビールを「フルーティー」と表現するのがびっくりですよね。そこからもっと知ろうと勉強し始めたら、もうベルギービールの魅力にどっぷりですよ(笑)。当時、大阪にはまだ専門店がなくて、東京の「ブラッセルズ」さんなんかを見て、「サラリーマンがこんなかっこよくベルギービール飲んでるのか!」と衝撃を受けて。それで1999年にベルギービール専門店(ドルフィンズ)に舵を切ったんです。

自社でビールを造ろうという話2018年頃に出ていたんです。
資金面の課題をいろいろ考えているうちにコロナが来た。飲食店は本当に難しかった。働く人のモチベーションも下がっていく。経営者として、これは苦しかった。そこで改めて考えたんです。「飲食店」一本に頼るのは本当に怖いな、と。それで、もう一つの柱として「製造業」をやろう、と。幸い長年ベルギービールを扱ってきた経験と知識がある。それならビール造りに挑戦しよう、と。それが2021年の暮れですね。
まず自社醸造を始めるにあたって、「ブリューパブスタンダード」の代表で醸造責任者の松尾弘寿さんに醸造技術の指導をお願いしました。飲食業を長くやってきた身としても、製造業の世界に入ったときは戸惑いの連続。製造免許や税務署とのやりとりなど、これまでの感覚とはまるで違う世界でしたね。

さらに当初は飲食店と並行して醸造所を運営するつもりでしたが、コロナ後に経営環境も大きく変化して、最終的にはすべての飲食店を閉めて、この船場ビール工場一本の集中する決断をしました。長年続けてきた店を手放すのはつらかったし、手堅い売り先を失う不安はもちろん大きかった。でも、新しい挑戦として、真剣にものづくりに向き合う覚悟を固めました。
ビールが生まれた歴史や文化を感じてもらいたい。
船場ビール工場で大切にしているのは、「バランスの良いビール」であること。

どこかが突出するんじゃなくて、飲み続けても疲れない、おかわりもできるビールです。「バランスがいい」というと個性がないように聞こえるかもしれませんが、その中にも“このビールにしかない”味わいを込めたいと思っています。
定番はペールエール、ゴールデンエール、ベルジャンブラウンの3種類。
どれもホップを強く効かせたIPAのようなタイプではなく、モルトや酵母の香りを感じながら、穏やかに楽しめるスタイルですね。

初めて自社ビールをリリースしたときに、昔なじみの常連さんからも「ドルフィンズらしい味やな」って言ってもらえました。急にホップが効いたものが出てくるんじゃなくて、安心してもらえたかな(笑)。IPAやトレンドのスタイルも造りますが、基本は「クラシカル」で「スタンダード」スタイル。しっかり発酵感や麦の旨味を感じられるビールがいいですね。いずれはボトルコンディション(瓶内二次発酵)もチャレンジしたい。
レシピを決めるときは、まず「ゴール」を明確に決めます。
長年の経験で「こういうビールにしたい」という明確なイメージがある。あとは醸造担当の娘と、「数値的にはこうだけど、たぶんこうなるから、もうちょっと減らそうか」なんて言いながら、経験と感覚で調整していく。そこはもう、娘からも信頼してもらってると思います(笑)。二人で造ってますが、ビールの好みは全然違うんですよ。娘はやっぱり、もうちょっとホップが効いたものが好きみたい(笑)。でも、その違いがいい。

もちろん、僕がやりたいクラシックなスタイルは柱として続けます。
でも、それだけじゃだめだとも思ってる。娘も新しいチャレンジをしたいと言っているし、僕も頑固に「これしか造らん」というつもりは全くありません。そのうち、「あれ?これ全然船場ビールらしくないな」っていうのも出てくるかもしれません(笑)。そんな新しい挑戦もどんどんやっていって、技術を上げていってほしいですからね。
船場ビール工場として続けたいのは、ビールの味というよりも、背景にある「物語」をお客さんと共有すること。「なんでこんな味になったんやろ?」っていう歴史や文化。例えば、最近造ったアイリッシュ・レッドエール。あれって、アイルランドの水が軟水だから、イギリスみたいな苦いエールが造れなかった、っていう背景がある。結果として、口当たりがやさしくて、カラメルモルトの甘さと香ばしさを楽しめるビールが生まれたんです。
そういうストーリーを継承していくことが、お客さんとの共通言語や価値になっていくと思うんです。
取材・文/山口紗佳
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大切にしているのは「バランス」。麦の旨味や酵母の香りを感じながら、何杯でもおかわりしたくなる。そんな「飲み続けられる」ビールです。仕事帰りにスイッチを切り替えたいとき、食事と合わせて「しみじみ旨い」と感じたいとき。そんな日常の中で解放される時間に、ぜひ選んでもらえるとうれしいです。
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